地域紹介

佐倉市

人口約18万人  千葉県佐倉市は、印旛沼を中心に数多くの原始古代遺跡と共に発展してきました。
中でも教会のある臼井地区は「臼井城」城下町の後、宿場としても栄え、北部には宿場町の頃の名残が見られ、自然資産などにも恵まれた結果、隣接する印旛沼と相まって、自然豊  かな住宅地が形成されています。

・酒々井町  人口約2万人  伊篠白幡遺跡や上岩橋貝層、かんかんむろ遺跡などから発見された石器などから、約2万4000年前頃から人類が居住していたとされ、また近代は東京、千葉方面に対するベッドタウンになっています。

・八街市  人口約7万5千人  八街(やちまた)の由来は、明治の初期、新政府の政策により徳川幕府の放牧地であった小金牧・佐倉牧の開墾に際し開墾局が開庁しました。

・成田市  人口約12万人  成田山新勝寺、宗吾霊堂の二大霊場を有する門前町として栄えていました。現在では、空港関連のサービス業など第三次産業が生まれ、新たな雇用が創出されています。

・富里市  人口約5万人  13の村を総称して「十三の里」(里はむらの意味)と言っていたことから「十三里」「富里」となり「富里村」が由来とされています。

・印旛村  人口約1万人(旧印旛村2010度調べ)現在は合併して印西市に。日本で最初のナウマン象の化石が、 ほぼ完全一個体で発掘されたり、印旛村指定天然記念物に指定される樹齢300年を越える ヤマザクラがあったりと、歴史感にあふれる街です。

 

佐倉市ゆかりの人物

1.原 主水(ハラ モンド)公   天正15年(1587年)-元和9年10月13日(1623年12月4日)
江戸時代の最初の殉教者であり、神様の為に生命を捧げられた人物
佐倉 臼井城で誕生 。列福されています。
徳川家康により小姓として召しだされますが、慶長17年の岡本大八事件を機に本格的なキリシタン弾圧が開始され、密告によって捕らえられ、元和9年に宣教師ら47名とともに江戸市中引回しの上、高輪の辻の札(高札場)にて火刑に処され殉教されました。

死の直前に
「私がここまで苦難に耐えてきたのは、キリストの真理を証明するためであり、私の切られた手足がその証である」と述べたと伝えられています。

2.堀田 正睦(ホッタ マサヨシ)公   文化7年(1810年)8月1日~元治元年(1864年)3月21日
日本国の為に生命を捧げた人物であり佐倉藩5代目藩主 日米通商条約を結ぶ

3.木内 惣五郎(キウチ ソウゴロウ)公 (又は、佐倉 惣五郎)慶長10年 - 承応2年
惣五郎は藩主である堀田氏の苛政を、藩や江戸役人、幕府老中にも訴えたが聞き入れられなかった為、上野寛永寺に参詣する四代将軍の徳川家綱に直訴しました。
その結果、藩主の苛政は収められたが、惣五郎夫妻は磔(はりつけ)となる一方、男子も死罪となりました。